延 喜 式 内 佐 麻 久 嶺 神 社
宮 司 |
小野 祝平 |
鎮 座 地 |
いわき市平中山字宮下81 |
祭 神 |
須佐之男命(すさのおのみこと)の御子、五十猛命(いそたけるのみこと)
別名 大屋毘古命(おおやびこのみこと)
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勧 請 |
慶雲元年(704)4月7日 |
五十猛命(いそたけるのみこと)は須佐之男命(すさのおのみこと)の御子で別の名を大屋毘古命(おおやびこのかみ)と云う。
由緒記によると、紀伊国名草郡日前国懸大神(きいのくになぐさぐんひのくまくにかかすのおおかみ)の分身で、佐「伊佐於志」の上下を略した功の意、「麻久」は蒔で嶺は「美称」である。
五十猛命が紀州に天降り、多くの木種を将(もち)い、大八洲国の内、田畠、山丘に蒔き施し造化を扶助して天下に大功をたてたので、その功を褒め称えた神である。
従って山神、農神そして種子を蒔いたことから、「事始めの神」とされている。
昔、桓武天皇の延暦年(782~806年)中、坂上田村麻呂が東征の際、武運長久を祈って薄磯の海浜において潮垢離(しおごり)の神事が行われ、そののち源義朝、足利尊氏、徳川家康等が祭使を派遣して神事を執行された。
応仁の乱(1467年)の頃、神官中山彦次郎(小野氏の祖で一時は中山領主)は、戦争にまきこまれ祭事を廃し、旧記や神領等悉(ことごと)く失ったので、その娘が一時、矢田村へ家を移し、神を勧請して、茲(ここ)に郷民が社を建てた。
ところが、神霊は旧社を慕って毎夜中山の嶺に光を放つので、時の村主植田平六はこの噂をいやがり、社をとりこわしてしまった。彼の子孫は神の怒りにふれて滅亡したと云う。その後、旧知に社を遷したが、天和2(1682)年3月、雷火にあって焼失したので平城主内藤義泰は翌年8月に再建し、山林一町歩を寄進して祭祀に供し、今日に至る。
伝えられるところ、境内南下に神宮寺跡と称する畑がある。
元来、旧4月7日に祭典が行われたが、昭和34年より新暦5月5日に変更された。
「旧社格 郷社」
年 間 の 祭 典
毎月1日、15日 |
月次祭 |
1月1日 |
歳旦祭 |
1月17日 |
子安神社例祭 |
2月3日 |
節分追儺祭(せつぶんついなさい) |
5月4日 |
宵祭り |
5月5日 |
例大祭「神輿渡御祭(みこしとぎょさい)」小泉貴船神社例祭 |
5月6日 |
後祭り末社祭り |
5月最終土曜日 |
郷ヶ丘例大祭 宵祭り |
5月最終日曜日 |
郷ヶ丘例大祭 本祭り |
6月30日 |
夏越大袚(なごしおおはらい) |
9月第1日曜日 |
氏神幣束祭(うじがみへいそくさい)諏訪神社例祭熊野神社例祭小泉貴船神社幣束祭(こいずみきせんじんじゃへいそくさい)
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9月第2日曜日 |
羽黒神社例祭吉野谷羽黒湯殿月山三山神社例祭
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11月 |
七五三参り
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11月23日 |
新嘗祭(にいなめさい)貴船神社新嘗祭大袚(きせんじんじゃにいなめさいおおはらい)
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12月31日 |
年越大袚式(としこしおおはらいしき)
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